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絹をめぐって中国人とユダヤ人    P72~73  前ページの続き

 朝鮮から九州に来るのは海流の関係で困難ですが、中国からは簡単に日本へ来ることができたと思います。
その頃、中国と日本を行き来する船が中国で発掘されるはずです
前漢の人は、初めは北九州にやって来たと思われます。彼らは死んだときにお墓に鏡を納める風趣があったようです。北九州において鏡が見つかるお墓がいっはい発見されています。そこが邪馬台国であり、その墓は土地の豪族の墓であることはほ゛定説になりつつありますが、ほとんど中国人のものと考えてよいと思います。
 このことは北九州だけではなく、吉備、丹後、大和においても同様です。北九州に邪馬台国があると考えている人は間違いでしょう。理由は簡単です。いっぱいある歴史的なことを説明しょうとしますと、直ぐに説明できなくなります。

話はかわりますが、神武天皇が神武東征を16年かけて行いました。最後には、勝利を収めて奈良の柏原に宮を定めますが、この戦いの間、ユダヤ人の助けなしでは成功しなかっと思っています。
中国人の拠点は全国にいっぱいありましたが、最大のものは吉野ヶ里だと思もわれます。従って、神武天皇は最初に吉野ヶ里を叩きました。(私の著書『神武天皇は吉野ヶ里を攻撃した』) そのときに、ユダヤ人は戦争の費用と気象・方角などにおいて、神武天皇に知識を与えたと考えています。
前漢の後もやってきました。その後は、呉の人は北九州へ、魏の人は丹後半島にやって来ました。
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