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神武天皇はいつ頃の人か   前回の続き  P85

 邪馬台国は九州説、大和説、そのほかに30ほどあるらしいですが、どの説もネックは、魏志倭人伝に書かれている人口の住む広さが足りないこと、食糧を造ることができないことです。先に挙げた国は、魏志倭人伝に書かれている通りの人口を養うだけに必要な広さと稲作を行っていたらしい地名が現在でも残されています。
魏志倭人伝に書かれた邪馬台国がどこにあったかは、機会を改めて真正面から解明したく思います。
もう一度、資料を書きます。「朝鮮の史書『三国史記』の新羅本記には、第四代解脱王は、『倭の東北一千里』にある多婆那国の生まれだとある」。第四代解脱王は多婆那国の生れとありますから、日本人であったのでしょう。
次に日本の資料をみます。
神武天皇には兄弟が三人いましたから、四人兄弟になります。長男の五瀬命(紀では彦五瀬命と表記)は、神武東征のときに戦死しました。次男は稲氷命(紀では稲飯命と表記)、三男は御毛沼命(紀では三毛入野命と表記)、四男は若御毛沼命、又の名は豊御毛沼命、もしくは神倭伊波礼毘古命(紀では神日本磐余彦尊と表記)。
日本書紀では、この部分が四書までありますが、各兄弟の生まれた順がちがうのと感じの表記が異なるぐらいで、四人の兄弟が生まれたという内容は一致します。
古事記では、御毛沼命が「波の穂を踏みて常世国に渡りまし」とあり、稲氷命は、「妣り国として海原に入りましき」とあります。

次回 86ページに続きます 
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