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神武天皇はいつ頃の人か   前回の続き  P89~91

なぜユダヤ人が、神武天皇即位を紀元にしたかといいますと、いわゆる神武東征は、日本の三分の一を制覇していた漢民族と、天孫続である天皇との戦いだったと見ています。ユダヤ人の血は、神武天皇にも伊須気余理比売にも流れていますから、ユダヤ人は神武東征に加担したとも見れますが、ユダヤ人にとっては、それどころでなかったと思われます。絹がすべてであった思われます。紀元は絹の商売に必要であったはずです。

神武天皇が柏原宮で即位された後、暫くして前漢が滅んでいます。私は前漢の経済のある程度は、日本の絹が関係あったのではないかと想像しています。この部分は、今後中国の歴史を勉強して確かめる必要があります。想像だけですが、日本のとった戦略は素晴らしく、朝鮮にお願いして任那府を置き、中国が帯方郡から朝鮮半島を経由して日本に来ることをできなくしました。中国人との戦いは、神武東征だけでは終わらず、その後、孝霊天皇の吉備平定、日子坐王による旦波国の玖賀耳之御笠対峙、すべて、中国人が開いてとなります。景行天皇、仲哀天皇等の征伐と続きます。その後も絹をめぐって中国人と日本の戦いは続きます。
朝鮮半島での白村江の戦い、その後戦後処理に渡来した郭務悰によって、壬申の乱と歴史は進みます。天武天皇の死(暗殺?)によって、決着がつきます。
中国人が勝利し、その祈念誌と考えられる日本書紀が720年に完成します。その後、法律も整備され、全国に延喜式内社が完成し、3000を越える中国の拠点・式内社が完成します。一見天皇中心の日本書紀国に見えますが、支配権は中国が握っていました。第二次世界大戦後、アメリカの支配を受けていた日本のようなものです。

紀元前180年頃から日本において繰り広げられた絹の奪い合いは、天皇家とユダヤ人と中国の間で延々と続くことになりました。神武天皇以後、700年間を僅か14行で紹介しましたが、その後も続くことになります。
すべて、ユダヤ人が神武天皇歴を使いながら世界に絹を運んだことが始まりになっています。

平成18年2月10日
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