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第六話 正史だった古事記

紀元240年の日本

 240年は、中国の魏の時代である。日本はカツラギ王朝時代で、崇神天皇の御世だった。 この年には朝鮮の帯方郡は、魏の占領下にあった。ここには太守すなはち、朝鮮総督が居った。
 日本には京都府綾部市の物部町に、魏志倭人伝にでてくる伊都国の都があった。240年は正始元年である。
 「正始元年、太守弓遵、建中校尉遵綬を遣わして、詔書・印綬を奉じて倭国にいたらしめ、倭王に拝仮し、あわせて詔をもたらし、云々」
と倭人伝に書かれている。太守すなはち、朝鮮総督までが日本にやって来た。建中校尉とは、魏の近衛の将校である。何の目的で、これだけの、大物がやって来たか。
 この人達は奴国、狗奴国、邪馬台国等を視察して回ったのである。この時には、これらの国の人達は、よもやこの慰問団は、戦争準備のため偵察目的でやって来たとは、感じなかった。

田村誠一著 第六話 正史だった古事記 8ページ
発行日 昭和56年6月10日


私から一言----紀元240年の日本が簡単に書いてあります。全部、お分かりですか。邪馬台国は、九州にあったと思っておられる方には、なんのことか判らないと思います。
特に、「京都府綾部市の物部町に、魏志倭人伝にでてくる伊都国の都があった」

奴国、狗奴国、邪馬台国等を視察して回ったのである。この時には、これらの国の人達は、よもやこの慰問団は、戦争準備のため偵察目的でやって来たとは、感じなかった。
 この様なことは、どこにも書いてありません。しかし、その後、卑弥呼が殺されるまでの歴史の流れを知りますと、魏の近衛の将校が物見遊山にやって来たのではないと考えませんと、歴史を理解できないと思います。
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