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第六話 正史だった古事記

紀元250年の日本 

第十代崇神天皇は258年に亡くなられた。卑弥呼が死んだのが、248年である。このあと千余人が死ぬ様な戦争があった。
 崇神天皇が丹波のクガミミの御笠を殺したと古事記に書かれた。魏志倭人伝にでて来る率善中郎将難升米とは、クガミミの御笠だったのである。
 この時魏の使者政等と20人が逃げ帰ったが、難升米の名は消えていた。日本と中国の文献が一致していたのである。
 日本書紀から、魏の占領地域がなくなった。同時に国交は425年まで177年も断絶した。
 真の独立国になったから、崇神天皇は、「初国知らす所の御真木の天皇」と呼ばれることになった。
 神武天皇は大和を先に占領していた、ニギハヤヒの命を征伐した。初めて全国統一をなしとげたのである。同時に始めて天皇の称号を採用した。従って初代天皇である。
 初代天皇が、二人もあっては、おかしいと神武天皇を無視したのは間違いだった。

「景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣わして郡にいたらしめ、天子にいたりて朝献せんことを求む。太守劉夏、吏を遣わしてもって送りて京都にいたらしむ。
 その年の十二月、詔書して倭の女王に報じていわく〔親魏倭王卑弥呼に制詔す。帯方太守劉夏、使を遣わして汝が大夫難升米、次使都市牛利を送り、汝が献ずる所の男生口・女生口六人・班布二匹二丈を奉じて、以ていたらしむ。汝が在る所、はるかに遠きも、すなはち使を遣わして貢献す。こり汝の忠孝、我、親魏倭王となし、金印紫綬を仮えん。荘封して、帯方太守に付して仮綬せしむ。それ種人を綵撫し、勉めて孝順をなせ。汝が来使難升米・牛利遠きを渉り、道路を勤労せり。今難升米を以て率善中郎将となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮え、引見労賜して還らしめん〕」




田村誠一著 第六話 正史だった古事記 9、10ページ
発行日 昭和56年6月10日

私から一言----「このあと千余人が死ぬ様な戦争があった」崇神天皇の側の兵隊が死んだのか、魏の国側の兵士が死んだのか、どちらだと思われますか。
 古事記には、崇神天皇が「丹波のクガミミの御笠を殺した」とあります。魏志倭人伝にでて来る率善中郎将難升米は、魏の国の最高責任者です。田村氏は、だから、クガミミの御笠と難升米は同じ人物だと述べておられます。
 「この時魏の使者政等と20人が逃げ帰った」と記録されていますが、トップの率善中郎将難升米の名前がないということは、死んだのでしょう。そのような不名誉なことは記録しなかったのでしょう。
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