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第六話 正史だった古事記

 古事記(5)

 倭国が乱れ、卑弥呼を共立したのが、190年頃とはっきりしている。
 これは第七代孝霊天皇の御世になる。古事記には次の様に書かれている。
 「大吉備津日子命と若建吉備津日子命とは二柱相そいて、・・・・・吉備国を言向け和したまひき。かれ、この大吉備津日子命吉備は、吉備の上道臣の祖なり。次に若日子建吉備津日子命は吉備の下道臣、笠臣の祖なり。」
 吉備の上道臣と下道臣が争っていたことが明らかにされている。吉備の下道国は、久米国を当時含んだ上道国の隣国である。 この下道国にニギハヤヒはゲリラを導入して、数十年間も内乱状態にしたことは明らかである。久米の軍隊を攻撃して、大和の兵力の弱体化を計った、巧妙な作戦だった。
 しかし大吉備津日子命と若建吉備津日子命に説得された。下道国としては何も上道国と争うメリットがない。ただニギハヤヒが、糸を引いていただけだから、この糸を断ち切るだけでよかった。しかし糸をひきちぎられた子分は吉備国の内乱の禍根となったのである。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 24ページ
発行日 昭和56年6月10日


私より一言----ニギハヤヒは、神武天皇によって、攻撃され、奈良で負けたことになっています。日本書紀では、天孫族の証拠の品を持っていましたので、神武天皇は許したように書いてあります。その後のニギハヤヒは、登場してきませんから、上に書いてある「下道国にニギハヤヒはゲリラを導入して」のことは、良く理解できません。
ニギハヤヒの正体がはっきりしません。

田村氏が、その後に出版された本では、神武天皇が奈良の橿原に宮を定めたのが、紀元元年1月1日としておられますから、上記の190年頃とは一致しません。 調査を進められて、このように変わったとしますと、「この下道国にニギハヤヒはゲリラを導入して、数十年間も内乱状態にしたことは明らかである。」という説明は矛盾することになります。

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