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第六話 正史だった古事記

 古事記(7)

第七代孝霊天皇の御世は、神武東征が107年の直前、第10代崇神天皇の崩御が258年とすれば、190年頃となる。
 卑弥呼共立は「ウソ」としても講和と考えれば年代は正しかったことになる。
 倭人伝の邪馬台国とは吉備上道国であり、投馬国は吉備下道国であった。
 吉備上道国には、大吉備津日子命が居ったので、倭人伝に書かれた、女王の都する所は「ウソ」で、難升米が「ウソ」を教えた。
 朝鮮には正史として、三国史書がある。この中に新羅の173年に卑弥呼が、親善のために使者をだしている。
 従って共立前から女王だったし、仮りに248年に死んだとすれば、百十才には達して居ったことになる。
 難升米は、卑弥呼を共立したと「ウソ」をついたが、同時に替玉にした根拠である。
 卑弥呼は丹波で天照大神と月読命の墓守りだったろう。この人を擁立して悪事を考えたのは難升米である。しかし朝鮮の三国史書が卑弥呼の謎を解いてくれた。

田村誠一著 第六話 正史だった古事記 26ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)


私から一言----田村氏が「第六話 正史だった古事記」を完成・発行されたのが、1981年です。その後、猛烈な勢いで、研究・冊子の発行をされて、
「西暦は日本の建国紀元だった」  
古事記に真実が書かれていた
燦然と輝いていた古代史・総集編
を発行されたのが、平成12年(2000)でした。

なんのことかお分かりにならないでしょう。西暦とは、誰が発案し、どこの国で使かわれるようになったのかと云いますと、調べていただいても、きっと、分からないと思います。
 別に神武天皇が決めたわけでもありませんが、この偉大なる神武天皇に従って、神武東征を成功させたユダヤ人が、日本の絹をヨーロッパに運ぶときにどうしても、どの国を通過しても、共通の年号が必要となり、ユダヤ人が、神武天皇が、奈良に都を定めた1月1日を元日に決めたらしいと云うのが、この「西暦は日本の建国紀元だった」の内容です。
 田村氏としては、丁度、2000年に当たる記念すべき日に、発行をしたかっただと思います。上に書かれた文章の「神武東征が107年の直前、」の部分は、全く、違うことになります。
と云うことは、神武東征が始まったのは、紀元元年より遡ること、16年と云うことになります。田村氏は、このシリーズを書かれた1981年から、19年後の2000年には、
「神武東征が107年の直前、」から「神武東征は紀元前16年」に変ったことになります。

「神武東征は紀元前16年」は、すでに、10年になろうとしていますが、日本では、後、30年位は認められないだろうと思います。
しかし、外国の研究者の間では、認められることになるのではないでしょうか。

何故かといいますと、世界の学者が、頭を揃えて研究しても、西暦元年が、どうして、2010年前なのか、説明が付かないと思うからです。  

「西暦は日本の建国紀元だった」を読みましても、ズバリ、このように書いてありません。全部読んで、タイトルのように感じ取って頂こうという書物になっています。

 そこで、私が、田村氏の夢を実現させようと、『西暦元年一月一日は神武天皇の即位の日』とのタイトルで、本を出版しました。
 所が、出版して、すぐに、発行元の新風舎が、メデイアに叩かれて、あっと云う間に潰れてしまいました。他所の出版社が発行した本は、一切、書店で扱ってくれませんから、10冊程売れたとの報告が、新風舎からありましたが、その後、読んで頂く機会はなくなりました。

 なんだか、嫌なはなしを書いてしまいましたが、田村誠一著 「第六話 正史だった古事記」 から「西暦は日本の建国紀元だった」に至るまでの、田村氏の心の変化も、楽しんで頂こうと思っています。

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