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第六話 正史だった古事記

古事記(11)
 
中国との国交に関する記録としては、107年以前は、後漢書に57年に倭国から朝貢したと書かれている。
 この時に「漢倭奴国王」の金印が授けられたのである。
 ニギハヤヒが神武東征直後に生口を献上し、この年が107年とすれば、57年は、古事記の国譲り直後と考えられる。
 戦後町村合併が各地で行われ、このため大切な歴史が末梢去れて行った。伯の国の西部すなはち、米子平野で、次の二つの重要な合併があった。
 淀江町に、大和(ヤマト)村と高麗村が合併した。又大国村、天津村等は合併して、西伯町が誕生した。
 大和村の小波浜(現存)で、大国主神とタケミカヅチの神との、文字通り国譲りの講和談判が行われた。その詳細は別稿に述べた通りである。
 大国主命は、もとの名は「オオナムチの神」であったが、上記の大国村のボスに選ばれて大国主命と呼ばれることになった。

田村誠一著 第六話 正史だった古事記 30ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)


私から一言-----この機会ですから、後漢書東夷伝を自分でご覧ください。 WEBで〔後漢書東夷伝〕で検索しますといくらでもヒットします。出来れば、岩波文庫 青401-1 410円 に魏志倭人伝なども収録されていますから、買ってください。そして、自分で翻訳してください。
 不思議なもので、自分で、買いますと、自分で訳して見る気になるものです。訳すと云っても、原文は、(建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自称大夫倭国之極南界也光武賜以印綬)です。
多くの翻訳は、
 建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す(奉貢朝賀す)。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以ってす。(建武中元二年は、西暦57年)
 
田村氏は、「漢倭奴国王」と書かれましたから、私は、そのまま、「漢倭奴国王」と書きましたが、本物の金印には、「漢委奴国王」彫ってあります。
この印ですと、〔漢が奴国の王に委任した〕印という意味にも、解釈できます。ということは、1784年(天明4)2月23日、博多湾志賀島(しかのしま)で百姓甚兵衛の発見した金印とは、限らなくなります。

又、田村氏は、此の後、神武天皇が即位したのが、西暦元年1月1日と書いておられますから、これを書かれた時とは、考えが違います。
 それにしても、次々と地名が変えられますと、歴史が分からなくなってしまいます。
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