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六話 正史だった古事記

古事記(12)

 国譲りで大国主命は「豊葦原の中国」を、天照大神の一族に譲ったのである。この意味は極めて重要で神話では全くない。
 「中国」とは「ナカスクニ」と呼ぶべきである。「中州国」でこれは、川のデルタ地帯である。葦の繁ったデルタ地帯には、焼畑農業の時代だから、人が住んで居らなかった。
 天照大神は古事記で、自分の田があったことを明記されている。この田のあぜを壊したのが、スサノオの命である。
 大国主命はまだ稲作をやって居らなかったことも国譲りでハッキリした。大国村は、当時は焼畑地域である。
 この国譲りで米子から安来にかけての、デルタ地帯を天照大神の一族すなはち、天孫族が手に入れた。
 この地帯が根の国であった。現在は境港までが陸続きだが、この当時は境港付近は夜見島で離れていた。米子附近は干潟が木の根の様に拡っていたので「根の国」と呼ばれた。
 本居宣長はこの「根の国」が分からないため古事記を神話にしてしまった。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 31ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)


私から一言----田村氏は、〔この意味は極めて重要で〕と書いておられます。なにが重要なのかは、此の後、続けて読まれても、意味が分からないと思います。

古事記を訳本ではなく、原文で読めば、少しは解ると思います。全部は大変ですから、国譲りの所だけで良いです。
 天照大神は、大国主命に国を譲る様に命令しますが、なんども大国主命にはまってしまいます。何年もかかって、説得しています。武力は全く使っていないことが分かります。
 それは、何故かと云いますと、「豊葦原の中国」を譲れと云ったからです。誰もいない、畑にもならない所です。
 大国主神も、事代主神もすぐに、承諾しましたが、最後まで反対したのは、建御名方神
でした。この神は、結局は負けて、諏訪湖まで逃げて行きました。建御名方神は、諏訪湖から伯耆国まで、絹を運んでいました。それだけではなく、外のところでも運んでいた形跡があります。
 一方、要求した天照大神の一族は、高天原(ヒルゼン高原)で、稲作をしていました。それも、畦を作っていましたから、スサノオに壊されました。 スサノオは、それだけではなく、馬を機織小屋の屋根から投げ入れました。と云うことは、スサノオは、騎馬民族であったことが分かります。(高句麗の人)
 大国主神は、大国主になる様に命じられました。明日からの連休には、大国村を訪れてください。大国村には、〔倭〕という地名もあります。当たりの神社は、残らず廻ってください。
 そうしますと、やっと、ここに書いてあることが分かると思います。
 こうなりますと、伯耆国は、どこの神社にいっても、楽しいです。

 伯耆国の神社は、http://asilka.blog61.fc2.com/
に順次掲載しています。現在は、日野郡に入っています。

と記していましたが、上のブログは、又、壊れてしまって、伯耆国の神社は、完成していません。

出来れば、ご自分で、「伯耆国の神社」を調べて、どのような神社があるか、資料を作ってください。
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