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六話 正史だった古事記

 古事記(15)

 天照大神の第三世「ニニギの命」はうまれたばかりである。この摂政の思金神に、「豊葦原の水穂の国を治めよ」と詔りした。
 この詔りに従って、思金神は、漢の皇帝に使者を出した。全国のデルタ地帯は無人のままであった。この葦の繁った所に稲作をする移民を送り出す様依頼したのである。
 こんな願ったり、かなったりの話があるだろうか。更に天照大神は、中国の古代の、呉の太伯の子孫だと告げた。出たら目を漢の皇帝に伝える筈がない。「ウソ」なら、たちどころに、バレル舞台である。
 移民を中国に募集するには、漢の皇帝の、何等かの、かきつけが有効である。このために「漢倭奴国王」の金印をもらった。
 もともとこんな金印を押した書類は、漢字も分らない、日本の先住民には、何の役にも立たない。稲作をやる中国揚子江以南の移民を集めるのに使用して効力が発生する。
 この金印の「漢倭奴国王」とは、ニニギの命で、奴国とは根の国だった。この金印を積んだ船は難破して、金印は志賀島に漂着した。

田村誠一著 第六話 正史だった古事記 34ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)

私から一言---「奴国とは根の国だった」であったとしますと、多くのことで、話の辻褄が合います。奴の国の王となれと云ったのは、スサノオです。大国主神がスサノオの娘の須世理毘売と駆け落ちをして、とうとう逃げおうせた時に、「宇迦の山の山本に底津石根に宮柱ふと知り、高天ま原に氷ぎ他かしりて居れ。この奴」と云いました。その奴国の王である大国主神を追出したのが、ニニギの命です。
 田村氏は、古事記(11)において、57年に倭国から朝貢があったことが後漢書に書かれている。57年は、古事記の国譲り直後と考えられると書いておられます。
 国譲りの後、天津日高日子穂穂手見命---鵜葺草葺不合命----神武天皇がおられます。三人ですから、一人20年としますと、ニニギの命を含めて4人ですから、同居していたとみても良いですが、57年ですと、ニニギの命は、100歳を超えます。神武天皇は、この頃、神武天皇は亡くなったと思います。
 田村氏は、其の後、訂正されたと思います。
『燦然と輝いていた古代・続』平成元年8月発行  20ページに
57年 出雲国の大夫、漢と共謀銅剣358本を地中に隠す
    出雲国の大夫「漢委奴国王印」を受領し帰国中難破す
と書いておられます。

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