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六話 正史だった古事記

 古事記(16)

 大国主命は「手間の山本(ヤマト)」で迫害を受けた。手間村の、手間山の西の麓に「倭」の地名が現存する。ヤマトと呼ばれる。
 ここが、国譲り後の都であり、中国に対しては、日本国の名となった。
 倭は大国村の中心でもあった。古事記では神武天皇の后候補が、歩いて居った所も、「倭」だった。
 大和平定前に「吾をば青垣の東の山の上に斎きまつれ」と書かれた「倭」は、大国村の倭であり、東の山は、大山だった。
 古事記を読むと、神々が海のかなたに行ったり、海のかなたから特別の船でやってくる場面が多い。 
 常世の国に渡ったと書かれたのは、中国や新羅の国を意味している。
 上記の「吾をば云々」の人は大年の神で、大国主命の相談相手だったが、海のかなたからやってきたのである。 
 漢倭奴国王の金印は、九州の志賀島で発見された。古代に都があった形跡の全くない所から出土したので漂着と考えるべきだった。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 35ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)


私から一言---〔大和平定前に「吾をば青垣の東の山の上に斎きまつれ」と書かれた「倭」は、大国村の倭であり、東の山は、大山だった〕
 騙されたと思って、一度、大国村を訪れてください。
米子市街の東を流れる日野川を遡っていくと溝口町がある。その隣町が西伯町です。県道180号線沿いに、〔倭〕がある。ここが昔の大国村です。
 いっても、他の町となんら変わりがありません。行く前に、この辺りの標高を調べてください。4m以下のところまで、海だったと思います。
 〔天津〕という地名があります。此処は港でしたが、ただの港では、天子に会いに来た人をお迎えした所ではないかと思っています。京都府の由良川にもあります。

私が行った時のことを書いています。
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page511.html
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