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六話 正史だった古事記

古事記(17)

 「漢倭奴国王」の金印は不幸にして、根の国には届かなかった。しかし、中国の揚子江以南の稲作民族は集団で、日本海沿岸の各所に導入された。
 如何に計画的におこなわれたかは、別冊でも述べた。例えば水の補給のための寄港地には福浦又は福江の地名が採用された。この地名は、天草から青森の下北半島まで、ほぼ等間隔で十ヶ所近く、国土地理院の地図上に現存している。
 集団で入植した所には、同じ地域に固まって、福、宮、神等の特定の漢字がついた地名が発生している。
 現在では極めて大量の渡来者があったことは血液型等でも立証されている。稲作技術が全国同時に普及したことは、計画移民があった証拠ではないか。
 魏志倭人伝に出て来る邪馬台国だけでも七万、奴国に二万戸の人口の大半はこの華南からの集団移民だった。
 この二ヶ国だけでも、240年には数十万人に達していたのである。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 36ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)


私から一言---このページは、表彰ものの話ですが、田村氏は、この成果を発表する機会はなかったと思います。どこの資料館でお話ししても、どなたも耳を貸して頂けなかったと思います。
そこで、『第六話 正史だった古事記 』の様な冊子を毎月、出版される事になりました。僅か、60ページほどのものですが、いくらかかったのでしょう。所が、この文章を読まれて、なるほどと思われる方は、少ないと思います。
 何故かと云いますと、実際に、地図を見て確かめられる方はおられないと思います。
どこの図書館に行きましても、全国の50000分の1が、全て揃っています。
確かめてください。

田村氏は、次の所でも書いておられます。
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2008/07/page16_d4f7.html

私は、地名・福良 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2008/07/post_1006.html
に書いています。

 できましたら、この福浦の掲載してある地図・国土地理院を一枚、購入してください。紀伊国屋などにいきますと、ケースに入ってあります。一枚、200円であります。購入しますと、福浦は、港にありますから、川を遡って、どのような地名があるか判ります。「福」とか〔田〕などの、稲作に関係する地名を発見することが出来ます。本当に、稲がつくられているかどうか、一度訪れます。
 毎週、出かけるのが楽しみになります。
 こんなことを3年程しますと、上の文章の意味が分かります。そうなりますと、歴史家と云われるプロの話など、どうでもいいことになります。
 〔この二ヶ国だけでも、240年には数十万人に達していたのである。〕が、日本の古墳時代の始まりになります。
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