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六話 正史だった古事記

魏志倭人伝に語らせよ

 神武東征から崇神天皇までの期間の古事記には何も書かれなかったに等しい。この時代にはカツラギ王朝とこの王朝を倒す目的の、丹波の伊都国との対立時代であった。
 伊都国は中国の支援をうけたニギハヤヒの命、この子孫の物部と倭人伝の難升米(日本名クガノミミの御笠)が居ったのである。
 従って魏志倭人伝は敵国の敗者の記録であることを念頭におきながら、240年から250年代の日本を考えて見ることにしたい。
 先づ倭国内の里程や方角は難升米の報告に基いたもので正確であった。同じ三国志内で韓国だけが、1里80米になっている。従って倭国の里程の単位は、壱岐までが、韓国の単位だった。
 これ以降の里程の単位は、魏の単位で約440米だったのである。
 倭国内の地理は末盧国が基点だった。地理として書かれるからには、継続的な里程の考え方位不合理なことはない。
 卑弥呼は衆を惑わすと書かれたが、惑わす筈はなかった。陳寿の書き方に惑わされた。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 42ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)

大橋 蛍火からの一言-----ここに書かれてあることは、お判りになられましたか。

〔同じ三国志内で韓国だけが、1里80米になっている。従って倭国の里程の単位は、壱岐までが、韓国の単位だった。
 これ以降の里程の単位は、魏の単位で約440米だったのである。〕

この部分を正しいと云うことにして、その後の歴史を考えますと、全部、田村氏の云われる通りとなり、日本史の謎は無くなります。
 例えば、〔この時代にはカツラギ王朝とこの王朝を倒す目的の、丹波の伊都国との対立時代であった〕と云えるように思います。少なくとも、伊都国は吸収などに会ったことにしますと、日本史は、九州で終わってしまいます。伊都国は、丹波にあったことになります。

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