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第六話 正史だった古事記

「又た一海を渡り、千余里に・・・」の続き

 大量の計画移民は黒潮海流に乗って、日本海にやって来た。この航海途中の、水や食糧の補給港には、福浦か福江の地名が採用された。
 この福浦の地名が日向浦のすぐ東隣りである。福浦、福江の地名は天草から、青森の下北半島までに約十ヶ所が、しかもほぼ等間隔で残っている。
 如何に綿密な計画が実行されたかの証拠の一つである。この詳細は別冊で述べて置いた。
 揚子江のある華南は古代から船がないと生活が出来ない所である。しかも揚子江の様な大河を遡ることだって必要であった。
 上海から天草の方がはるかに近かかった。航海は遡らないですむだけ容易である。
 河を遡るからには風を利用したことだろう。しかも風がないからとて、下流に流されては困る。こだいには現代人の考え及ばない様な、航海術があったと考えるべきだ。
 同時代に砂漠の砂煙りで東西が全く分からない中を天山山脈の3000キロかなたに、20万人の屯田兵を動員していた。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 46ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)
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