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第六話 正史だった古事記

「東南して奴国に至るまで百里二万戸あり。」のつづき
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2010/02/post-a1d8.html
<上のアドレスでも、同じページが読めます>

 古代史では出雲が舞台になっていたとかんがえられてきた。しかし、じっさいの、古事記に出て来る地名は、この根の国に大半があった。
 米子の東に淀江町がある。この町に合併された中に大和(ヤマト)村と高麗村があった。
国譲りがあった「イナサのコハマ」は「否砂の小浜」で大和村にある。大和とは天子が講和を行った所である。「否砂」とは岩場のことであった。
 大和朝廷の「大和」の名の起りであった。事代主命はこの講和の時、美保崎で釣りをしていたのである。
 高麗村に唐王の地名がある。ここがスサノオの命の住居のあった所で、古事記には、根の国の堅州と書かれている。
 高麗村の東南に宮内の地名がある。ここは神武天皇の住居のあった所である。
 大国主命は米子の南の、宗像の奥谷で見合いされた。
 航海に従事した、安曇の連中は、天津村の東に同名の集落を作っていた。
「漢倭奴国王」の金印については別稿で述べたが、船が難破して、ここに届かなかった。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記    50ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)
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