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六話 正史だった古事記

 「南のかた投馬国に至る、水行二十日五万戸ばかり」

 魏志倭人伝は、同じ南のかたに五万戸の投馬国と、七万戸の邪馬台国があると書いた。 衆を惑わしたのは卑弥呼でなくて、魏志倭人伝を書いた陳寿だったのである。
 米子から倉敷までは伯備線が走っている。この伯備線は終始、川に沿って走っている。川とは日野川と高梁川である。八岐の大蛇でスサノオの命が遡って行った川は、実はこの日野川であった。
 昔の国鉄は流れの緩い川すじに沿って、建設された。緩い川すじには川原があり、対岸に簡単に渡ることが出来る。従ってトンネルの少い国鉄の走っている所は古代の道と並行している。水行二十日とは納得のゆく日数だ。
 高梁川を下った所が、倉敷市玉島である。玉島国を玉の国と略し「投馬国」と書き変えたまでだ。
 240年頃には古事記では、この国は吉備下道国となっていた。ここの住民五万戸は久米国と邪馬台国を攻撃する目的でニギハヤヒが、瀬戸内海から導入した。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 52ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)

大橋 蛍火から一言---〔トンネルの少い国鉄の走っている所は古代の道と並行している〕は、見事に言われるようになっています。古代の道が分かれば、その道に沿って、古墳と遺跡が集中しています。
 では、その道は、古代の人は、なんの為に歩いていたと思われますか。

私のように絹を運んでいたと思う人もあるでしょう。塩、米、鉄などいろいろ考えることが出来ます。これを知るためには、この古代の道を実際に歩くことです。歩いていますと、重要なところでは、必ず、二等辺三角形の山を発見出来ると思います。
 では、その山の周辺には、どのような地名があるか

如何ですか、〔トンネルの少い国鉄の走っている所は古代の道と並行している〕は、一層、本当だと云うことを発見出来ると思いますし、歩いたり、車で走しっていても楽しくて仕方がありません。
3月の連休には、是非、高梁川を下って、倉敷市玉島を訪れてください。  H220212



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