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六話 正史だった古事記

「南の方邪馬台国に至る。女王の都する所にして、水行十日・陸行一月・七万戸ばかり」
その2
  紀元240年頃に栄えた所に、国府や国分寺が出来た筈である。この筆法で吉備の国を眺めることだ。
 岡山市西大寺に古都の地名が残っていた。現在はこの古都の中心を山陽新幹線が、突きぬけて走っている。
 これこそ邪馬台国の都であった筈だ。古都と津山とは吉井川が唯一の交通手段だった。
 日本海から瀬戸内海には、このルートを通る外なかったのである。
 魏志倭人伝は、津山と古都を十日で行けたことと、古代の、日本最初の道を教えてくれた。
 朝鮮には三国史書がある。これには「但馬は邪馬台国の東北千里にあり」と書かれた。
 朝鮮の一里は80米である。西大寺ヤマトの東北80キロに但馬は位置している。
 何百年か探し求めていた幻の国「邪馬台国」の中心は西大寺にあった。
しかもこれは「ヤマト」と呼ぶべきだった。根の国も久米国も都は「ヤマト」だったのが理由だ。




私から一言----「紀元240年頃に栄えた所に、国府や国分寺が出来た筈である。この筆法で吉備の国を眺めることだ」凄い仮説です。仮説とは云わないで、「国府や国分寺が出来た筈である」と書いておられます。これには、厖大な地図を眺めたものが、頭の中に残されているのと、古都と津山とを結ぶ吉井川を実際に走られたときの景色なども脳に残っている筈です。そして、但馬と西大寺を結ぶ道も走られた筈です。
 私はひとまず、但馬に行ってきました。
竹田城の役目
http://skeikas.iza.ne.jp/blog/entry/1339219/
あたりから書いています。この辺りは、古代から絹が盛んであったこと。此の頃の成功の墓と思われる前方後円墓が、竹田城の近くと和田山の近くにあるのを見てきました。しかし、何故か、和田山あたりで勢力があったのに、740年頃には、豊岡市に移動したらしく、
但馬国分寺遺蹟が、豊岡市に存在します。
 このようなことを探っていると、田村氏の「紀元240年頃に栄えた所に、国府や国分寺が出来た筈である。この筆法で吉備の国を眺めることだ」は、たった一行ですが、光ってみえます。

田村誠一著 第六話 正史だった古事記 54ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)
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