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六話 正史だった古事記

「南の方邪馬台国に至る。女王の都する所にして、水行十日・陸行一月・七万戸ばかり」
その3

 第七代孝霊天皇の御世に吉備上道国と下道国とが和睦したと古事記に書かれている。
 魏志倭人伝では、倭国が長年乱れていたので、190年頃卑弥呼を共立して平和になったと書いている。これは同一事件を取り扱ったのであった。
 卑弥呼を共立したとある記録は難升米の創作だったのである。卑弥呼はすでに173年には新羅に使者をだしていた事実が現れた。
 邪馬台国に女王が居って、伊都国を治め、一大率を置いて諸国を監察したと、倭人伝は書いている。
しかし吉備二国が和睦後は上道国では、大吉備津日子か、子孫が統治していた筈だから、これも難升米の間違った報告によるものだ。
 稲を植えていたと書かれ稲作民族だったから、吉備上道国では、七万戸の食糧は充分確保出来たものと考えられる。 
 年令は八・九十才から百才となっている。玄米を主食にし、古い魚貝を食べなければ、理想的な健康食ではないか。長生きして当然である。
 下道国と違って上道国の人々は計画移民で、華南から日本海経由でやって来た。何れ大和に都が出来ると大勢の人は奈良に移ったのである。


田村誠一著 第六話 正史だった古事記 55ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)

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