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第六話 正史だった古事記

「祖賦を収むるに、邸閣国あり、国に市あり、有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。」
大倭とは、久米郡久米町に合併した、大倭(ヤマト)村のことである。ここに役人が居って監督していた。ここが久米国の中心だ。
 邸閣国とは屯倉(ミヤケ)のことである。古代史に興味をもたれる人には、屯倉の説明は不要の筈だ。屯とは屯田兵であり、津山盆地に、第一号が1700年前あった。
 大倭村の南隣りは倭文(シドリ)村で、倭文とは織物のことだ。衣服生産の村だった。
 奴国に二万戸、邪馬台国に七万戸、投馬国に五万戸の人は中国からの渡来者で、稲作をやるために、人口はいくら増加しても、食糧は足りた。吉備は穀倉地帯になっていた。
 しかし次に大切なのは「衣」である。この三国の中心に、「衣」の生産地があったことになる。ここでも地名は古代史だった。
 大倭村には錦織の字がある。ここで日本最初の養蚕が行われたと考えたい。中国に献上した錦はここで織られた筈だ。久米国は、古代文化の中心であったと考えるべきだ。

田村誠一著 第六話 正史だった古事記 58ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)
私から一言----「この三国の中心に、「衣」の生産地があったことになる。ここでも地名は古代史だった」
奴国に二万戸、邪馬台国に七万戸、投馬国に五万戸の中心であったとは、なかなか気が付かないものです。
 全国に「倭文」という地名と倭文神社が沢山あります。
参考に 
No655神武東征(104)  神武天皇(48)  香香背男(8)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12

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