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第六話 正史だった古事記

正史だった古事記
 魏志倭人伝は紀元240年から250年の僅か10年間に、日本国内に大変革が起きたことを教えてくれた。
 同時に古事記が正史であったことも、証明してくれたのである。古事記には神話は含まれて居らなかった。脚色部分を脚色として、分離して考えればよい。
 他方日本書紀位悪書はなかったのである。
 千弐百年の間、日本人は、物部の亡霊に、惑わされて来たことになる。
崇神天皇の御世に、十二道に将軍を派遣した。いくら日本人がお人よしでも、1700年昔に他所からやって来た、全く知らぬ人を泊め、食事を出しただろうか。
大和に居って日本の地理が分っただろうか。天孫降臨後、日本全土に集団の移民を計画的に行ったから、十二道の人々は、あたたかく歓迎してくれたのである。
 境港が日本の門戸であり、出雲街道から津山を出て、吉井川を下る、交通の大動脈があったのである。天照大神の壮大な偉業を、今こそ考え直して見るべきだ。



田村誠一著 第六話 正史だった古事記 62ページ
発行日 昭和56年6月10日(1981)


私から一言---本日は、【田村誠一著 第六話 正史だった古事記】 の最終回です。
田村氏は、第六話まで調べて来たことを元に、古事記が正史であったことを語ろうとされました。すべて、60ページくらいの小冊子ですが、それぞれの発行日を見ると分りますが、エネルギッシな研究の跡が見てとれます。
 これから先、〔古事記が正史であった〕を元にしますと、謎が多かった歴史が、どんどん解明されますので、その後、冊子の発行が続きます。
少し、休んでから又、お送りしたいと思います。

私の歴史への興味は相変わらず続いていますが、どうしても、〔古事記が正史であった〕
に戻っています。
奥津鏡・辺津鏡のことを調べていましたら、どうやら、随分当時の権力者に取って、重要なものらしいことが分り、考えて見ることにしました。

 次の辺りがはじまりとして、考えています。
No713神武東征(162)  神武天皇(105) 奥津鏡・辺津鏡
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2010-01-28

その後、続けまして、これでは、理解して頂けないと、書き続けていましたら、
No722神武東征(171)  神武天皇(114) 奥津鏡・辺津鏡(10)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2010-02-14

から、すっかり、古事記が正しいことを理解して戴かないと駄目だと、古事記のはじめから書いています。特に、古事記には、どうして、〔天〕の字が多いのかにこだわっています。
 古事記は、〔天〕に関係のある人たちが、自分たちが、抹殺されそうだから作った記録だったらです。
 それを見た藤原氏たちは、古事記に書いてあることは、すべて、間違っていると国民に知らしめる為に、日本書紀を作りました。
 古事記に書かれてあることを参考にした証拠は、古事記に出て来る人や地名の名は、採用したのに、悉く違った漢字に替えたことです。
 特に重要な神は、全く別人の如く、別の名前になりました。
大穴牟遅神(大国主神)は、日本書紀では、大己貴命と表記されています。

 田村誠一氏も、その後、いいろいろの研究をされますが、〔第六話 正史だった古事記〕から離れることは出来なかったのではないかと思います。

その苛立ちの様なものが、13ページの屈辱の書〔魏志倭人伝〕から19ページの悪書〔日本書紀〕(4) まで続きます。
 それから、最後まで、古事記が正しかったことを述べておられます。


もう一度、この部分に戻って、読んで頂ければと思います。 お節介かも知れませんが・・・。
H220306

 
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