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真説建国史のあらまし(1)  3ページ

古代の日本は紀元前2世紀以前を有史前、これから西暦元年までを神代、更に622年の推古天皇の御世に聖徳太子が鎌足に暗殺されるまでが天皇親政時代で、これから12世紀までは藤原占領政治時代と呼ぶべきだ。
 日本には建国史に古事記と日本書紀がありこの両史書で神代として取扱ったのが紀元前2世紀から西暦元年までである。
 神武天皇が初代天皇で橿原宮で平和宣言を行ったのが西暦紀元と一致していた。これは当時絹を西域やヨーロッパに運んでいたユダヤ商人が商売の必要上採用した暦だった。これから600年間は天皇の親政である。
 鎌足は中国系の人物で唐に支援されてクーデターを成功させて大化の改新をやり、次男の不比等が天武天皇を人質にして壬申の乱で天皇勢力を一掃した。
 不比等が帝紀と本辞を諸家にながしたが、天皇の系図の帝紀すら天武天皇は入手出来なかったと古事記の序文に書かれていた。これこそ天皇が幽閉されていた証拠で、帝紀と本辞は不比等が作成した怪文書である。



これより管理人の私の感想
 1ページ目ですが、ここまで読まれただけで、もう、読まないでおこうと思われる方が、続出となるのではと思います。私の目から見て、気になる所を書いてみます。

①推古天皇の御世に聖徳太子が鎌足に暗殺される  この点は、複雑です。取敢えず、聖徳太子をインターネットで調べてみます。

ウィキペディアに依りますと、
出生について
 「厩の前で生まれた」、「母・間人皇女は西方の救世観音菩薩が皇女の口から胎内に入り、厩戸を身籠もった」(受胎告知)などの太子出生伝説に関して、「記紀編纂当時既に中国に伝来していた景教(キリスト教のネストリウス派)の福音書の内容などが日本に伝わり、その中からイエス・キリスト誕生の逸話が貴種出生譚として聖徳太子伝説に借用された」との可能性を唱える研究者(久米邦武が代表例)もいる[注 以下省略

虚構説 と云うものがあって、少し、転記しますと
 高野勉の『聖徳太子暗殺論』(1985年)は、聖徳太子と厩戸皇子は別人であり、蘇我馬子の子・善徳が真の聖徳太子であり、後に中大兄皇子に暗殺された事実を隠蔽するために作った架空の人物が蘇我入鹿であると主張している。また石渡信一郎は『聖徳太子はいなかった—古代日本史の謎を解く』(1992年)を出版し、谷沢永一は『聖徳太子はいなかった』(2004年)を著している。近年は歴史学者の大山誠一らが主張している(後述)。

 こうした学説を総て、検証していますと、田村氏は文章を書けません。

②このような事より、古事記は、どうして推古天皇までしかないのか。
推古天皇に関する記述は極簡単なものです。推古天皇はこの後に続く女性の天皇の最初の天皇です。
 私は、記事の短さは、古事記に書かれていた文章は、不比等によって、消されたのではないかと推理しています。

③当時絹を西域やヨーロッパに運んでいたユダヤ商人が商売の必要上採用した暦日本の歴史にユダヤ人はどこにも登場しません。これは田村氏の多くの研究の成果でこのような事が云える事になります。活字で表わされた歴史には、登場しませんが、存在を思わせる証拠らしきものは一杯有ります。
 世界中の国の暦がどの様であったか。これを証明するのは、不可能ですが、どの国にも、暦は存在しました。しかし、活字として残っていることを前提にしますと、世界には暦の無かった国は少ない筈です。
 現在は、世界共通で、西暦を使っていますが、これが何時から使われているかは調べましたが、元年から使っていた国は、ゼロです。ということは、よく分っていないと言えます。
 どうして、世界共通の暦が必要になったかと云いますと、ユダヤ人が、世界中を又にかけて、絹の商売をしていたから必要になったと田村氏は説明して居られます。

 この説明を証明することは出来ませんが、田村氏の説明を、論拠を述べて、論破することは誰も出来ないと思います。

④鎌足は中国系の人物で唐に支援されてクーデターを成功させて大化の改新をやり、次男の不比等が天武天皇を人質にして壬申の乱で天皇勢力を一掃した。

 鎌足は中国系の人物で唐に支援されてクーデターを成功させて大化の改新をした

この部分だけが正しいということを説明出来る人は、おられないでしょう。
 だから、大化の改新をしたというのは、間違いだと反対意見を述べることは、この論文以上に難しい事だと思います。「大化」という元号が初めて使かわれたのは事実です。

⑤天皇が幽閉されていた証拠で、帝紀と本辞は不比等が作成した怪文書である。
この文に至っては、一番皆さんからおしかりを受ける文章だと思います。

しかし、どうして、このような事が云えるのかと云いますと、この後に続くページを読みますと、根拠が書いてあることになります。

 ①~⑤は、とんでもない日本の歴史と云うことになりますが、これは、田村誠一氏が、考えられました歴史の一部です。

 ご本人にとっては、「真説」ですが、読者にしますと、読みたく無くなる歴史となります。


 しかし、私は、①~⑤までの事は、田村氏が挙げられた「仮説」のようなものだと思えばいいと考えます。
 これから、田村氏は、この仮説がいかに正しいかを述べていかれるのだと思います。
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